一里塚

日々の流れに打ち込む楔は主観性だけあればいい。

ありきたりなオタクの、ありきたりな信仰告白

今日、一人の声優が活動休止を発表した相坂優歌さんという方である。

思えば、私の人生は常に音楽によって支えられてきた。高校生の時、大した挫折経験もない思春期の青年には珍しくもないありふれた話であるが、身近な小さい出来事に対して、まるでそれが人生における最大の挫折であるかのような(確かにその時点では私の人生において最大の挫折であったのだろうが)気がして、過剰に悲劇のヒーローぶり、「VS 社会」という構図を作り出した。この時に最も聴いていた音楽はパンクロックである。はじめに聴いたのは Sum41 というバンドの Still Waiting という曲である。

So am I still waiting

For this world to stop hating

Can't find a good reason

Can't find hope to believe in


---Sum 41 "Still Waiting"

この曲を聴き、パンクロックにずぶずぶと浸かった。所属していた生徒会での問題に気を揉んで(自慢めいた言い方になってしまい気乗りしないのだが、受験勉強は私にとってさほど苦痛ではなかった)、帰り道の長い電車の中でずっと Sum41Green Day を聴いていた。

Well maybe I'm the faggot America

I'm not a part of a redneck agenda

Now everybody do the propaganda

And sing along to the age of paranoia


---Green Day "American Idiot"

その後、大学に入学した。様々な要因、主に所属していた研究チームでの進捗から精神を破壊されたことにより、私は「幸せな人間が嫌い」という至ってありきたりな拗らせ方をした。

このころは「幸せな人間が集う社会を破壊する」という外向的な精神と、「それでも俺は前を向いて俺の人生を歩く」という内向的な精神とが私を支配していた。

豚の安心を買うより

オオカミの不安を背負う

社会の首根っこ押さえ

ギターでぶん殴ってやる


---THE BLUE HEARTS "俺は俺の死を死にたい"


叫んで Make a Shine

響く声に嘘はつきたくないから

ゴールは要らない

終わりの無い旅を歩いてゆく


---喜多村英梨 "Veronica"

こうした私だが、大学三年生の時に、それまで所属していた研究チームを引退し、第一線を退いた。

その時ふと私を襲ったのが、「自己の空虚さ」である。

人というのは厄介な生き物で、余程強い精神を持った人間でない限り、「自分が今成し遂げていること」が何もないと自己の存在がなくなってしまうものである。(ここにおいて、過去の「自分が成し遂げてきたこと」に縋ることができる人間はとても強い。なぜなら「自らの築いたものの上に胡坐を掻く」ことを許容できるほど図太い神経の持ち主なのだから!)こうして私は、また非常にありきたりであるが、自己というものを失うことになる。アイデンティティ・クライシスである。

このような状態の人間が求めるのは「肯定」である。自ら何かを成し遂げて自己肯定できる人はとても強く、その自己完結は非常に美しい。だが、それでなくても構わない。外からの「肯定」であっても、それはどこかで私が生きる糧となるのだから。

そんな私に刺さることとなる歌詞がある。曲がある。歌声がある。それが相坂優歌さんであった。

変わりたい 壊したい

逃げ出す自分 捨てても

偽らずに 君に受け入れてほしいよ

走り続ける先に

待ち受けているのは悲しい 運命でも

「今」信じていたい


---相坂優歌 "Impluse"

彼女の歌に、彼女の歌声に支えられて私は生きてきた、生きている。

二年前のライブ、彼女は涙ながらに語った。「こうして応援してくれる人が一人でもいる限り、私は一生舞台に立ち続けたい」と。

私は、待ち続ける。舞台に立ち、光を浴び、「今」を生きる彼女を。そして、その場で流れるであろう私の涙と、「明日を生きよう」という決意を。