一里塚

日々の流れに打ち込む楔は主観性だけあればいい。

自由帳1

ばかばかしい。思考の整理のために使用していくと言ったそばから、整理もできていない思考を書き連ねることに抵抗を示すという無意味な偏執狂により何も書けず、下書きに雑多なメモを残すことしかしていない。

 

そんな雑多なメモをそのまま放流するという無秩序さを残しても良いではないか。

書いてみて思ったが、これでは刊行者の言葉宛らではないか。

 

素人の短文を読むくらいなら本を読んだほうが良い。

 

アメリカやソ連は歴史を切り捨てイデオロギーで建国したというのは面白い見方である。同意は未だし兼ねるが。

 

歴史が無い者たちは出来事に関連を見出さず、未来予測を行うことが難しくなるであろう。

ロカンタンは、ロルボンは歴史が無い人間であろうか。

私も歴史のない人間かもしれない。

行動の一貫性と読み替えるべきか。一貫性のない突発的な言動と言えよう。

 

自らの言動に一貫性を見出す、というのは本質主義的であるのではないか。

 

タイガー&ドラゴンは実存主義的なのかもしれない。本質主義的に言うなれば "俺" の話の内容、即ち本質によってその話を聞く価値があるかどうかが定められるのではないか。その内容を聞く前に俺の話を聞けと主張するのは実存主義的ではないか。

 

チラシの裏すぎる。