一里塚

日々の流れに打ち込む楔は主観性だけあればいい。

春の吐息が香る中

「春風の香りだ」

今日私は外に出て真っ先にそう感じた。頭で何を考えるよりも早く、春の香りが鼻孔を擽るのを感じた。

私にとって、真っ先に季節を感じさせるのは目でも耳でも肌でもなく、鼻である。それも、金木犀の香りや沈丁花の香り、というわけではなく、風の香りである。田舎に育った私にとって、季節によって、日によって、時間帯によって身にまとう香水を変えてくれる風というのは一番のオシャレさんであった。

びゅうっと鼻に突き刺さるような、それでいて澄んだ香りの風で感じる冬の訪れ。突きさすような中に、掻き起こされた田んぼの土の香りを運ぶ風で感じる冬の終わり。田んぼに張られた水の香りを運びながら、やわらかく鼻に入ってくる風で感じる春の訪れ。田植えが終わって草の香りを運ぶ風で感じる春の終わり。雨の香りで感じる梅雨。むっとした湿気と照り付ける日差しを運ぶ風の香りで感じる夏。いつのまにかどこかへ行ってしまった水の香りの代わりに我が物顔で居座る土の香りを運ぶ風で感じる秋。あら、今日は季節の香りじゃなくって潮の香りなのね、などと風の香りを楽しむ。

東京は人間の臭いが邪魔で風の香りがわかりづらい。あの懐かしい香りを味わいに、たまには実家に帰ろうか、などと思いながら春の風を楽しんでいる。