一里塚

日々の流れに打ち込む楔は主観性だけあればいい。

サルトル『嘔吐』読書記 0

友人から「サルトルの『嘔吐』を読め。」と言われ、本をプレゼントしてもらった。前々から読みたい本であったので読み進めていたのであるが、これが中々に読み進められない。元々遅読であるのに加え、読んでいると次々に考えが浮かび、それらを一々片付けてから読むためにページが進まない。

読んでいるときに浮かんで来る考えがまたブログに残すべきものが多いのである。少し恰好を付けて嘘を吐いた。ブログに残す「べき」考えというのは正しくないであろう。ブログに残し「たい」考えと言うべきであろうか、いや、恐らくはこれも正しくないのであろう。「自分が『私ならブログに残すであろう』と考えるような考え」というのが最も正確だと思う。

私が実存主義文学についての造詣が深く、サルトルの『嘔吐』から様々な実存主義文学の云々を感じ取りそれを残す……というわけでは皆目無い(残念なことだ)。当然主人公たるロカンタンが研究している歴史の背景に詳しく……というわけでもない(残念なことだ)。ただ、私がロカンタンに非常に強く共感する、というだけである。下らない感想をただ思ったままに記すだけであるが、それはこの本の冒頭にあるように、

一番いいのは、その日その日の出来事を書くことだろう。はっきり見極めるために日記をつけること。たとえ何もないようでも、微妙なニュアンスや小さな事実を落とさないこと、とりわけそれを分類すること。

ということで一つ容赦願いたい。

というわけで、くだらない前置きが長くなってしまったが、要するに『嘔吐』を読み進めていきながら、同時に浮かんだ考えというのをブログに残していこう、というわけである。

さてさて、この記事のタイトルがなぜ1ではなく0なのか、というところから私は始めなくてはならない(これは一種の偏執狂であろう)。これは私が『嘔吐』を読むに至った経緯、また私という人物がどのような人物であるかを記さなければ私の読書記としては不完全であろうと考えたためである。そのためにはまず、中村文則『遮光』の話から始めよう。この本は以下のような冒頭から始まる。

部屋を出て、約束通りに喫茶店へ向かった。タクシーに向かって右手を挙げ、煙草に火を点け歩いた。それからタクシーなど見てはいなかったが、それはまるで普通に客を乗せるように、私の前に停車してドアを開けた。少し面食らったが、自分が手を挙げたのだから、この状況は仕方なかった。そのまま車に乗り込み、大まかな行き先を告げた。運転手は私の言葉を聞くと、バックミラー越しにこちらを見、本当にそこでいいのかと、しつこく念を押した、それは多分、目的地が酷く近いためだった。私はそれでいいのだと、何度も言わなければならなかった。運転手は何かを呟いたが、諦めたのか、やがてアクセルを踏んだ。

運転手は不機嫌な態度を変えようとしなかった。私は喫茶店の近くに病院があったのを思い出し、「子供が生まれそうなのです」と言った。運転手は一瞬私を見たが、しかし彼の態度は変わることはなかった。私はそれから、早産であることや、心の準備ができていないことを、にこやかに話した。しかし運転手は、まるで汚いものでも見るように、私の顔を見ていた。

タクシーは止まり、料金を支払った。私が車から降りた後も、彼は中々発進しようとしなかった。彼は始終、私を訝しそうに眺め、その行き先を見届けているようだった。私は右手の病院を一瞬見たが、そのまま目的の喫茶店に入った。

明らかに病気の類である。友人のブログに記されているが(ここに登場する「友人」は私のことである)、私はこの『遮光』における主人公、「私」と似通ったものを感じずにはいられない。過去の記事にも書いたのだが、私は常に何らかの人物像を描き、それを演じ続けている。それに伴う、所謂「嘘」というやつも、全くもって「嘘」だと思ったことはなく、そのために傍から見ると私は虚言癖だと思われがちなようだ。

一つほどエピソードを交えた方がわかりやすいのかもしれない。 先の友人のブログにもある飲み会の帰り道のことである。私は泥酔し、そのときの記憶が全くないのだが(記憶が殆ど全く残っていないほど泥酔していたにも関わらず的確に帰りのタクシーの手配をしていたらしい)、後から友人に聞くには、帰りの道中私は別の友人との馴れ初めについて話したあと、真剣な口調で「俺は彼の前にいるときが一番素でいられるというか、楽なんだよね。」と話していたらしい。

先に断っておくが、これは真っ赤な嘘である。確かにその友人とは気の置けない中であるため、一緒にいて楽ではあるのだが、「素でいられる」などというのは思ったこともない(私が「素」でいることなど一瞬だってない)。勿論、私と話していた友人とも気の置けない中であり、嘘を吐かなければならない、というようなこともない。ただ私は意味もなくその場の空気に酔い嘘を吐いたのである。この嘘には何の意味もない。泥酔していたため記憶はないのであるが、私はこの時の自分の気持ち、というか行動理由について明確に把握できる。しんみりとした車中で昔話を語るに連れ場の空気がしんみりしてきて、ついその空気に乗ったまま流れるように嘘を吐いたのである。その話は事実ではないかもしれないが、きっとその場の空気には最もそぐう話であっただろう。

自己紹介の代わりに、『遮光』の主人公の言動について、非常に共感できる箇所をいくつか引用するのがいいだろう。

「お前な、いちいちうるせえんだ。何なんだよ、一体、あ?何なんだよって聞いてるんだよ。どうだっていいだろう?お前は馬鹿なんだよ。嘘つき嘘つきってお前言うけどさ、じゃあ教えるよ。嘘はな、ついてる人間も傷つくとかっていうだろ、罪悪感とか、何だか知らねえけど、でも俺はそんなこと、考えたこともねえんだよ。いや、考えたこともあったのかもしれないけど、何百回ってやってると、感じなくなるんだ。俺は何だって言ってやるし、何だってやれるんだ。俺の中はぐちゃぐちゃなんだよ。めちゃくちゃなんだ。何が本心かだってわからなくなるくらいに。嘘ついてる時な、お前も試してみればいい、心の奥がさ、たまらなくうずくんだ。うずいてうずいて、たまらなくなる時だってある。」

 

私はそれから彼女に言い寄り、そのままセックスをした。別に性欲を感じたわけではなかったが、何かを演じてみたかったような、そんな気分だった。私は優しい男を演じ、嘘ばかり口にしながら、美紀の体を抱き寄せていた。これは私の、以前からの癖というか、病気のようなものだった。本心がどうであったとしても、時折、殆ど発作的に何かの振りをしたくなることがあった。その演技が自分にとって意味のないものであったとしても、何かに駆られるように、私はよくそれを始めた。あの時の私を外から見ていれば、多分誰もが優しい男だと判断しただろうと思う。私は美紀に同情しようと、あの時涙まで流した。そういうことを、いつも無理なくすることができた。しかし私はそうした中で、妙なことだが、自分の本心を見失うこともあった。実際、あの時の自分が本当は何をしたかったのか、今の私は思い出せない。というより、あの時の私にも、それはわかっていなかったような、そんな気もした。

次は主人公が友人達と共に海へ行ったとき、友人がナンパされているところに出くわすシーンである。

彼らは郁美を囲うように座り、彼女をしきりに誘っていた。男の内の一人が、こんな奴らほっといて俺達と行こうぜと言った。そう言った男は太っていて声が高く、私にみっともない印象を与えた。健治が彼らに何かを言ったが、私には聞こえず、また彼らも聞いてはいないようだった。私は砂浜に突き刺さっていた鉄の棒を見つけ、手に持った。多分日よけの傘か何かを支える部品だろうと思った。その鉄の棒はずっしりと重く、持った感じがよかった。私はそれから棒を握り直し、太った男に向かって振り降ろした。が、別に怒りを感じたわけではなかった。私はこの鉄の棒の似合う人間に、暴力を好む人間になろうとし、気がつくと、そういう自分の行動を意識しながら、動いていく体を、心地よい感覚の中で何かに預けていた。男は悲鳴のような声を出し、驚いたように私を振り返った。私はその時、この彼の姿はおもしろいのだろう、と思った。私がこうすれば、彼は驚いたように私を私をみるだろうと思っていたし、そしてその通りになったからだ。私はそれから「取り敢えず殺してやるよ」と言った。この棒を見つけた時、私は既にそう言っている自分を頭の中に思い浮かべていた。男が足を押さえていたので、多分棒はそこに当たったのだろうと思った。私はそこを狙ってもう一度振り降ろし、男が悲鳴を上げるのを待ってまた振り降ろした。私はそれをしながら、この男も私にやられていることを、この現状を、あるいは楽しんでいるのかもしれない、となぜか思った。が、その行動は段々と私を疲労させた。腕もだるかったし、元々私は体の強いほうではなかった。何だか面倒になり、そのまま男を打ちつけるのをやめようと考えたが、どういうわけか、棒を振り降ろそうとする衝動が、面倒になっている自分に抵抗し、続けるようにと、私に強いていた。私は多分怒りを感じていなかったし、この男のことなどどうでもよかったが、私は棒を振り降ろす行動に突き動かされていた。何がしたいのかわからなくなり、一瞬躊躇したが、その時腕を掴まれる感触を覚え、振り返るとそこに別の男がいた、辺りは暗かったが、彼が怒っていることはわかった。どうして私はやめようと考えたのに彼等は続けるのか、少し不満だった。仕方がなかったので、彼の顔を肘で打ち、棒を握り直してまた振り降ろした。そうしているうちに、この二人の男が揃って足を押さえるところを見なければならないような、そんな気がし始めた。疲れていたが、私は何度も振り降ろしていた。それは私に何かの義務を連想させた。これを続けなければならないような、そんな気がし、棒を持つ手に力を込めた。私はその義務にしたがい、彼らを打った。が、なぜそれが義務なのかはわからなかった。私は自分でおかしくなり、少し笑おうと思った。打たれていた男は立ち上がろうと努め、私の顔を見ながら何かを言った。彼の頭は角度からいって、私にとってちょうど打ち易い高さだった。少し離れていた男が、ナンパしただけだろういかれてんのかよ、と大きな声を出した。健治は私の前に立ち、もういいよと言った。

怒りに狂っているかのような行動を起こしながら、その自分を斜め上から眺めているかのような自分がいる、というのは非常に共感できる経験である。私も、日常を過ごすにあたって常に「演じている自分」と「それを眺めている客観的な自分」が頭の中に共存している。

同じく中村文則作の『土の中の子供』にも、私が共感する記述が存在する。親からの虐待を受けており、児童保護施設の出身である主人公がその施設に帰り、施設長と話しているときに幻聴が聞こえ発作を起こすシーンである。

椅子が倒れ、グラスの割れる音が響いた時、私は立ち上がっていた。目の前に、初老の男が白い歯をむき出しにして立っていた。彼は「落ち着け」と叫び、両肩を鷲掴みにし、私を酷く揺さぶる。声が出ず、息が止まり呼吸ができなくなった。彼は私を両腕で捕え、そのまま締め上げようとした。彼の肌が、私の肌に重なる。私は「他人だ」と叫び、逃れようとするが動くことができなくなった。他人が、私に密着している。密着し、私の中に、入り込もうとしている。恐怖で身体が震え、肌の内側から染み出るような嫌悪感が、強烈な寒気となって私の身体を浸食する。「他人だ」「他人だ」視界が薄れ、喘ぐように叫びながらもがき続けた。

これについては、私が過去の記事において、「自他の境界」を強く意識していることからもわかりやすいだろう。

さて、このような性質を持つ人間について、友人達がブログに残している。(虐待児と実存主義瀬戸口廉也作品をプレイして思うこと。)これらの記事で取り上げられているのは「虐待」という原体験である。虐待を受けることで自己意識が希薄となり、他人によって自己が規定される(すなわち、他人から求められる人間像を演じる)。彼らのブログでは実存主義との繋がりを述べているため、その後そういった人物は「他人の規定する本質」を演じ続ける自己に対し、「他人の規定する本質というヴェールを脱ぎ、ありのままの世界が立ち昇ることに気づく」のであるが、それについては『嘔吐』を読みながらじっくりと書き残すこととしよう。

私は幸いなことに虐待を受けた記憶はなく、むしろ育った家庭環境としては両親とも十分に愛情を注いでくれた(くれている)と考えているが、結末としての価値観や性質などが上の記事に引用されている人物と非常に似通っている。では、私における原体験とは一体何なのであろうか(私は人生を物語として語りたくてしょうがないので、その真偽を問わず、人格には原体験が必要なのである)。

虐待ではない原体験を持つ人物として、『遮光』の主人公が挙げられる。小さくして両親を亡くした主人公は優しい里親に預けられる。両親の死を受け入れられず、親の爪や髪を箱に詰め、大事に仕舞いながら、口数も少なく陰鬱とした空気を纏う「私」に対し、優しい里親たちは魚釣りへと連れてゆく。以下はその里親が主人公を別の家に預ける直前に行った会話である。

「確かに、不幸って言うのは、他人の同情をひく。お前が悲しんでいれば悲しんでいるだけ、人はお前にやさしくするんだ。でもな、人って言うのは、それが長く続くと、段々うっとうしさを感じたりもするんだ。(中略)お前は親が死んだ子だ。それはこれから、様々な形でお前に不利に働くかもしれない。だからな、乗り越えられないなら、初めは振りだけでもいい。(中略)そしてそれから、お前が箱にしまっていた、あの、親の爪とか、髪の毛とか、ああいうものは、私が昨日捨てておいた」

「どうして?」私はその日初めて喋り、そして、それがその日の最後の言葉だった。

「(中略)形見なら、もっと他のものを選びなさい。わかったな。乗り越えられないなら、振りだけでもいい、なるべく快活に、元気に、まず、気に入られなさい」

あの時私は、太陽を睨みつけていた。太陽はちょうど水門の真上にあり、酷く明るく、私にその光を浴びせ続けていた。私はそれを、これ以上ないほど憎み、睨みつけていた。その美しい圧倒的な光は、私を惨めに感じさせた。この光が、今の私の現状を浮き彫りにし、ここにこういう子供がいると、世界に公表しているような、そんな気がしたのだった

その後、主人公たる「私」は言われた通り「親の死を乗り越えながらも時折本当は心の奥に悲しみがある」かのような振りをし、新たな里親に受け入れられるのである。彼の原体験はここにあると言っていいだろう。

私は物心ついた時から「演じる」ことが当たり前で、何が原体験であったのか、最近まで定かではなかった。しかし、つい二月ほど前、母親が私に対して言ったことが私の原体験なのではないかと気づいた。私は小さいころ非常に優秀であり、世界各国の国旗・国名・首都名を全て暗記し、親の出すクイズに答えたり、本に書いてある知識を全て覚えていたりと、所謂「神童」的なエピソードが多い。このような私を育てるにあたって母親が感じたプレッシャーと言うのは計り知れないであろう(初めての子なのだから尚更のことである)。その頃の私の育て方について母親が語った一言は

「私の子という感じがしなかった。『この子はこう育てなければならない』と、周りから求められるような像の通りに育てる、ということを考えていた。」

ということである。端から周りの求める人間像の通りに育つように育てられてきたのだから、周りの求める人間像を演じるようになるのは当然のことであろう。

さて、このような人間が『嘔吐』について思うところが多いのは当然であろう。というわけで、雑多な自己紹介などでこの記事は終わってしまったが、次回から実際に『嘔吐』の箇所を引きながら稚拙な考えを記していこうと思う。

私はこのような人間であるので、この記事の最後に、『遮光』の主人公がシンジさんという先輩から虚言癖や演じているかのような性質を指摘された後、友人の健治に対しその彼女、恵美についてシンジさんの受け売りで虚言を話したシーンを引用し、注釈として終えなければならないであろう。

健治はそう言い、私の顔を見続けていた。私はしかし、もう笑ってなどいなかった。ただ、頭がぼんやりとしているだけだった。意識が自分から遠く、健治も遠くにいるような、そんな感じだった。私は健治の目を見、その動いている唇を見た。その時、意識の隅で、シンジさんが定義した私という人間像を、今の私はわざと演じているのかもしれない、という考えが浮かんだ。が、その考えが本当にそうなのか、証明する手立てはなかった。どうしてああいうことを言ったのか、私は考えたが、やはり自分が演技をしているような気がしてならなかった。何かに強制されるように、駆り立てられるように、私の口からは言葉が流れ、それが自分にとって意味のないことであったとしても、私は何かの振りをしてみたくなった。それはまるで、私の体の中に染み込んだ、ある種の傾向のように思えた。そしてこういう時、私はいつも陶酔したような、快楽があった。嘘をつけばつくほど私はそれに陶酔し、それは時に自己を支配するほどに大きく、私は自分を見失った。私はさっきも実際に、酷い快楽を感じていた。やめたいという拒否の感情と共に、やはり酷い快楽をも同時に感じていた。だが、それは果たして私の望んだことなのだろうか。やはりどうしても、自分が何かに強制されているような気がしてならなかった。体の中に染み込んだ今までの自分の傾向が、どんな時にも、ふと気がつくと、私にそう強いているのだった。