一里塚

日々の流れに打ち込む楔は主観性だけあればいい。

サルトル『嘔吐』読書記 1

前回の記事から二月も経ってしまった。いやはや、筆不精と言うのもいい加減にしなくてはならない、『嘔吐』について書かねばならぬこと、否、私が書くであろうことが多すぎる、一々全てを引用していかなければならないのではないかというほどである。あれこれ言ったところで言い訳に過ぎない。早速『嘔吐』を読みながら感じたままのことを素直に記していくとしよう。 なお、用いているのは人文書院の鈴木道彦訳であり、今後引用もすべてそれに準ずる。

本文の書き出し、ロカンタンの日記は以下のように「日付のないページ」から始まる。

一番いいのは、その日その日の出来事を書くことだろう。はっきり見極めるために日記をつけること。たとえ何でもないようでも、微妙なニュアンスや小さな事実を落とさないこと、とりわけそれを分類すること。このテーブル、通り、人々、刻みタバコ入れが、どんなふうに見えるのかを言わなければならない。なぜなら変化したのはそれだからだ。この変化の範囲と性質を、正確に決定する必要がある。

(太字は原文傍点)

ロカンタンは何かの「変化」を感じて日記をつけ始める。物語の始まりである。変化したのは「なんでもないようなものが自分にとってどんなふうに見えるのか」なのである。その後ロカンタンは目の前にあるインク瓶の入った厚紙の箱について著そうとしたのち、こう綴る。

ばかばかしい、これについて何も言うことなどありはしない。避けるべきはこういうことで、何もないのに奇妙だと考えてはならないのだ。日記をつけるとすれば、危険はそれだと思う。つまりすべてを誇張し、鵜の目鷹の目で、絶えず真実をねじ曲げてしまうことだ。

これについて私は同意を叫ばざるを得ない。友人の勧めなどもあり嘗て日記をつけようと試みたことが幾度かあるが、結局毎度三日坊主とまではいかないまでも一週間ほどで厭になってしまい已めてしまうのである。私の日記においてはその日常にあったことが全て物語的に誇張されてしまうのである。無意識的に「今日あったこの事実は特段私の中で今主流となっている考え(即ち、物語の主題と言えよう)に関与しないのだから記す必要がない」「今日あったこの事実は私の人生という物語の中でこのように寄与しているべきであり、だからこそ私はこの事実からこういった考えを想起するのである」などと言ったように事実を歪めてしまう、乃至記述が誇張されてしまうのである。事実を歪めたところでそんな日記は誰に読ませるものでもない、嗚呼、自分は誰にも見られないと理解っているところですら演じざるを得ないほどには自己がないのだな、と辟易してしまう。それならば寧ろ「あったことを全てありのままに記そう」と思い立ち日記を記すも、関係のない事柄が散逸した日記を読み返すと、自分の人生が物語ではなくただ平凡な人生であると突き付けられているようで倦厭してしまうのである。

その後ロカンタンはしかし、ものに対する印象が指の間から零れ落ちないように注意深く記録するべきだと考え直す。そして「土曜日の件」、即ち悪童たちの水切りに混ざろうとして石を拾い上げたが、「何か」に対して気持ち悪くなってしまい、石を落として離れてしまったことについて記述する。

一週間前に友人と旅行に行き、岩手は一関、猊鼻渓で水切りをしようとしたときにここの文章を思い出したものである。その時は「本当に石の裏側だけが泥で汚れている」などと考え、私もロカンタンと同様一瞬石を落としそうになった(『嘔吐』におけるロカンタンの言動を思い出したこととは関係なく)。ここでの事件についてはロカンタン自身が「まだ」何があったのか把握していないので私も触れておく程度にとどめておこう。

「一昨日のこと」にもロカンタンは触れているが、これについては詳細な記述はされていない。しかし兎に角重要なのは以下の文である。

奇妙なことに、自分が狂ったとは一向に思えない。むしろ、狂ってなどいないことが明確に見てとれる。こうした全ての変化は、物に関係している。せめてそれくらいのことは確実にしたいものだ。

変化したのはあくまで「もの」の見方なのである。「もの」を見る自分自身の見方が変わったのか、「もの」自身が変化してしまったのか、それについてはわからないが、ということだろうか。これについては雑多に考えを記録しているだけなので今後回収されるかどうかは定かでない。

本文では2ページほどの文に対してこんなにも長々と記してしまったが、悔いは特にない。如何せん一文一文が味わって読むに値するのである、こればっかりは仕方ない。いつになるかわからないが、次回へ続く、として筆を擱く。

サルトル『嘔吐』読書記 0

友人から「サルトルの『嘔吐』を読め。」と言われ、本をプレゼントしてもらった。前々から読みたい本であったので読み進めていたのであるが、これが中々に読み進められない。元々遅読であるのに加え、読んでいると次々に考えが浮かび、それらを一々片付けてから読むためにページが進まない。

読んでいるときに浮かんで来る考えがまたブログに残すべきものが多いのである。少し恰好を付けて嘘を吐いた。ブログに残す「べき」考えというのは正しくないであろう。ブログに残し「たい」考えと言うべきであろうか、いや、恐らくはこれも正しくないのであろう。「自分が『私ならブログに残すであろう』と考えるような考え」というのが最も正確だと思う。

私が実存主義文学についての造詣が深く、サルトルの『嘔吐』から様々な実存主義文学の云々を感じ取りそれを残す……というわけでは皆目無い(残念なことだ)。当然主人公たるロカンタンが研究している歴史の背景に詳しく……というわけでもない(残念なことだ)。ただ、私がロカンタンに非常に強く共感する、というだけである。下らない感想をただ思ったままに記すだけであるが、それはこの本の冒頭にあるように、

一番いいのは、その日その日の出来事を書くことだろう。はっきり見極めるために日記をつけること。たとえ何もないようでも、微妙なニュアンスや小さな事実を落とさないこと、とりわけそれを分類すること。

ということで一つ容赦願いたい。

というわけで、くだらない前置きが長くなってしまったが、要するに『嘔吐』を読み進めていきながら、同時に浮かんだ考えというのをブログに残していこう、というわけである。

さてさて、この記事のタイトルがなぜ1ではなく0なのか、というところから私は始めなくてはならない(これは一種の偏執狂であろう)。これは私が『嘔吐』を読むに至った経緯、また私という人物がどのような人物であるかを記さなければ私の読書記としては不完全であろうと考えたためである。そのためにはまず、中村文則『遮光』の話から始めよう。この本は以下のような冒頭から始まる。

部屋を出て、約束通りに喫茶店へ向かった。タクシーに向かって右手を挙げ、煙草に火を点け歩いた。それからタクシーなど見てはいなかったが、それはまるで普通に客を乗せるように、私の前に停車してドアを開けた。少し面食らったが、自分が手を挙げたのだから、この状況は仕方なかった。そのまま車に乗り込み、大まかな行き先を告げた。運転手は私の言葉を聞くと、バックミラー越しにこちらを見、本当にそこでいいのかと、しつこく念を押した、それは多分、目的地が酷く近いためだった。私はそれでいいのだと、何度も言わなければならなかった。運転手は何かを呟いたが、諦めたのか、やがてアクセルを踏んだ。

運転手は不機嫌な態度を変えようとしなかった。私は喫茶店の近くに病院があったのを思い出し、「子供が生まれそうなのです」と言った。運転手は一瞬私を見たが、しかし彼の態度は変わることはなかった。私はそれから、早産であることや、心の準備ができていないことを、にこやかに話した。しかし運転手は、まるで汚いものでも見るように、私の顔を見ていた。

タクシーは止まり、料金を支払った。私が車から降りた後も、彼は中々発進しようとしなかった。彼は始終、私を訝しそうに眺め、その行き先を見届けているようだった。私は右手の病院を一瞬見たが、そのまま目的の喫茶店に入った。

明らかに病気の類である。友人のブログに記されているが(ここに登場する「友人」は私のことである)、私はこの『遮光』における主人公、「私」と似通ったものを感じずにはいられない。過去の記事にも書いたのだが、私は常に何らかの人物像を描き、それを演じ続けている。それに伴う、所謂「嘘」というやつも、全くもって「嘘」だと思ったことはなく、そのために傍から見ると私は虚言癖だと思われがちなようだ。

一つほどエピソードを交えた方がわかりやすいのかもしれない。 先の友人のブログにもある飲み会の帰り道のことである。私は泥酔し、そのときの記憶が全くないのだが(記憶が殆ど全く残っていないほど泥酔していたにも関わらず的確に帰りのタクシーの手配をしていたらしい)、後から友人に聞くには、帰りの道中私は別の友人との馴れ初めについて話したあと、真剣な口調で「俺は彼の前にいるときが一番素でいられるというか、楽なんだよね。」と話していたらしい。

先に断っておくが、これは真っ赤な嘘である。確かにその友人とは気の置けない中であるため、一緒にいて楽ではあるのだが、「素でいられる」などというのは思ったこともない(私が「素」でいることなど一瞬だってない)。勿論、私と話していた友人とも気の置けない中であり、嘘を吐かなければならない、というようなこともない。ただ私は意味もなくその場の空気に酔い嘘を吐いたのである。この嘘には何の意味もない。泥酔していたため記憶はないのであるが、私はこの時の自分の気持ち、というか行動理由について明確に把握できる。しんみりとした車中で昔話を語るに連れ場の空気がしんみりしてきて、ついその空気に乗ったまま流れるように嘘を吐いたのである。その話は事実ではないかもしれないが、きっとその場の空気には最もそぐう話であっただろう。

自己紹介の代わりに、『遮光』の主人公の言動について、非常に共感できる箇所をいくつか引用するのがいいだろう。

「お前な、いちいちうるせえんだ。何なんだよ、一体、あ?何なんだよって聞いてるんだよ。どうだっていいだろう?お前は馬鹿なんだよ。嘘つき嘘つきってお前言うけどさ、じゃあ教えるよ。嘘はな、ついてる人間も傷つくとかっていうだろ、罪悪感とか、何だか知らねえけど、でも俺はそんなこと、考えたこともねえんだよ。いや、考えたこともあったのかもしれないけど、何百回ってやってると、感じなくなるんだ。俺は何だって言ってやるし、何だってやれるんだ。俺の中はぐちゃぐちゃなんだよ。めちゃくちゃなんだ。何が本心かだってわからなくなるくらいに。嘘ついてる時な、お前も試してみればいい、心の奥がさ、たまらなくうずくんだ。うずいてうずいて、たまらなくなる時だってある。」

 

私はそれから彼女に言い寄り、そのままセックスをした。別に性欲を感じたわけではなかったが、何かを演じてみたかったような、そんな気分だった。私は優しい男を演じ、嘘ばかり口にしながら、美紀の体を抱き寄せていた。これは私の、以前からの癖というか、病気のようなものだった。本心がどうであったとしても、時折、殆ど発作的に何かの振りをしたくなることがあった。その演技が自分にとって意味のないものであったとしても、何かに駆られるように、私はよくそれを始めた。あの時の私を外から見ていれば、多分誰もが優しい男だと判断しただろうと思う。私は美紀に同情しようと、あの時涙まで流した。そういうことを、いつも無理なくすることができた。しかし私はそうした中で、妙なことだが、自分の本心を見失うこともあった。実際、あの時の自分が本当は何をしたかったのか、今の私は思い出せない。というより、あの時の私にも、それはわかっていなかったような、そんな気もした。

次は主人公が友人達と共に海へ行ったとき、友人がナンパされているところに出くわすシーンである。

彼らは郁美を囲うように座り、彼女をしきりに誘っていた。男の内の一人が、こんな奴らほっといて俺達と行こうぜと言った。そう言った男は太っていて声が高く、私にみっともない印象を与えた。健治が彼らに何かを言ったが、私には聞こえず、また彼らも聞いてはいないようだった。私は砂浜に突き刺さっていた鉄の棒を見つけ、手に持った。多分日よけの傘か何かを支える部品だろうと思った。その鉄の棒はずっしりと重く、持った感じがよかった。私はそれから棒を握り直し、太った男に向かって振り降ろした。が、別に怒りを感じたわけではなかった。私はこの鉄の棒の似合う人間に、暴力を好む人間になろうとし、気がつくと、そういう自分の行動を意識しながら、動いていく体を、心地よい感覚の中で何かに預けていた。男は悲鳴のような声を出し、驚いたように私を振り返った。私はその時、この彼の姿はおもしろいのだろう、と思った。私がこうすれば、彼は驚いたように私を私をみるだろうと思っていたし、そしてその通りになったからだ。私はそれから「取り敢えず殺してやるよ」と言った。この棒を見つけた時、私は既にそう言っている自分を頭の中に思い浮かべていた。男が足を押さえていたので、多分棒はそこに当たったのだろうと思った。私はそこを狙ってもう一度振り降ろし、男が悲鳴を上げるのを待ってまた振り降ろした。私はそれをしながら、この男も私にやられていることを、この現状を、あるいは楽しんでいるのかもしれない、となぜか思った。が、その行動は段々と私を疲労させた。腕もだるかったし、元々私は体の強いほうではなかった。何だか面倒になり、そのまま男を打ちつけるのをやめようと考えたが、どういうわけか、棒を振り降ろそうとする衝動が、面倒になっている自分に抵抗し、続けるようにと、私に強いていた。私は多分怒りを感じていなかったし、この男のことなどどうでもよかったが、私は棒を振り降ろす行動に突き動かされていた。何がしたいのかわからなくなり、一瞬躊躇したが、その時腕を掴まれる感触を覚え、振り返るとそこに別の男がいた、辺りは暗かったが、彼が怒っていることはわかった。どうして私はやめようと考えたのに彼等は続けるのか、少し不満だった。仕方がなかったので、彼の顔を肘で打ち、棒を握り直してまた振り降ろした。そうしているうちに、この二人の男が揃って足を押さえるところを見なければならないような、そんな気がし始めた。疲れていたが、私は何度も振り降ろしていた。それは私に何かの義務を連想させた。これを続けなければならないような、そんな気がし、棒を持つ手に力を込めた。私はその義務にしたがい、彼らを打った。が、なぜそれが義務なのかはわからなかった。私は自分でおかしくなり、少し笑おうと思った。打たれていた男は立ち上がろうと努め、私の顔を見ながら何かを言った。彼の頭は角度からいって、私にとってちょうど打ち易い高さだった。少し離れていた男が、ナンパしただけだろういかれてんのかよ、と大きな声を出した。健治は私の前に立ち、もういいよと言った。

怒りに狂っているかのような行動を起こしながら、その自分を斜め上から眺めているかのような自分がいる、というのは非常に共感できる経験である。私も、日常を過ごすにあたって常に「演じている自分」と「それを眺めている客観的な自分」が頭の中に共存している。

同じく中村文則作の『土の中の子供』にも、私が共感する記述が存在する。親からの虐待を受けており、児童保護施設の出身である主人公がその施設に帰り、施設長と話しているときに幻聴が聞こえ発作を起こすシーンである。

椅子が倒れ、グラスの割れる音が響いた時、私は立ち上がっていた。目の前に、初老の男が白い歯をむき出しにして立っていた。彼は「落ち着け」と叫び、両肩を鷲掴みにし、私を酷く揺さぶる。声が出ず、息が止まり呼吸ができなくなった。彼は私を両腕で捕え、そのまま締め上げようとした。彼の肌が、私の肌に重なる。私は「他人だ」と叫び、逃れようとするが動くことができなくなった。他人が、私に密着している。密着し、私の中に、入り込もうとしている。恐怖で身体が震え、肌の内側から染み出るような嫌悪感が、強烈な寒気となって私の身体を浸食する。「他人だ」「他人だ」視界が薄れ、喘ぐように叫びながらもがき続けた。

これについては、私が過去の記事において、「自他の境界」を強く意識していることからもわかりやすいだろう。

さて、このような性質を持つ人間について、友人達がブログに残している。(虐待児と実存主義瀬戸口廉也作品をプレイして思うこと。)これらの記事で取り上げられているのは「虐待」という原体験である。虐待を受けることで自己意識が希薄となり、他人によって自己が規定される(すなわち、他人から求められる人間像を演じる)。彼らのブログでは実存主義との繋がりを述べているため、その後そういった人物は「他人の規定する本質」を演じ続ける自己に対し、「他人の規定する本質というヴェールを脱ぎ、ありのままの世界が立ち昇ることに気づく」のであるが、それについては『嘔吐』を読みながらじっくりと書き残すこととしよう。

私は幸いなことに虐待を受けた記憶はなく、むしろ育った家庭環境としては両親とも十分に愛情を注いでくれた(くれている)と考えているが、結末としての価値観や性質などが上の記事に引用されている人物と非常に似通っている。では、私における原体験とは一体何なのであろうか(私は人生を物語として語りたくてしょうがないので、その真偽を問わず、人格には原体験が必要なのである)。

虐待ではない原体験を持つ人物として、『遮光』の主人公が挙げられる。小さくして両親を亡くした主人公は優しい里親に預けられる。両親の死を受け入れられず、親の爪や髪を箱に詰め、大事に仕舞いながら、口数も少なく陰鬱とした空気を纏う「私」に対し、優しい里親たちは魚釣りへと連れてゆく。以下はその里親が主人公を別の家に預ける直前に行った会話である。

「確かに、不幸って言うのは、他人の同情をひく。お前が悲しんでいれば悲しんでいるだけ、人はお前にやさしくするんだ。でもな、人って言うのは、それが長く続くと、段々うっとうしさを感じたりもするんだ。(中略)お前は親が死んだ子だ。それはこれから、様々な形でお前に不利に働くかもしれない。だからな、乗り越えられないなら、初めは振りだけでもいい。(中略)そしてそれから、お前が箱にしまっていた、あの、親の爪とか、髪の毛とか、ああいうものは、私が昨日捨てておいた」

「どうして?」私はその日初めて喋り、そして、それがその日の最後の言葉だった。

「(中略)形見なら、もっと他のものを選びなさい。わかったな。乗り越えられないなら、振りだけでもいい、なるべく快活に、元気に、まず、気に入られなさい」

あの時私は、太陽を睨みつけていた。太陽はちょうど水門の真上にあり、酷く明るく、私にその光を浴びせ続けていた。私はそれを、これ以上ないほど憎み、睨みつけていた。その美しい圧倒的な光は、私を惨めに感じさせた。この光が、今の私の現状を浮き彫りにし、ここにこういう子供がいると、世界に公表しているような、そんな気がしたのだった

その後、主人公たる「私」は言われた通り「親の死を乗り越えながらも時折本当は心の奥に悲しみがある」かのような振りをし、新たな里親に受け入れられるのである。彼の原体験はここにあると言っていいだろう。

私は物心ついた時から「演じる」ことが当たり前で、何が原体験であったのか、最近まで定かではなかった。しかし、つい二月ほど前、母親が私に対して言ったことが私の原体験なのではないかと気づいた。私は小さいころ非常に優秀であり、世界各国の国旗・国名・首都名を全て暗記し、親の出すクイズに答えたり、本に書いてある知識を全て覚えていたりと、所謂「神童」的なエピソードが多い。このような私を育てるにあたって母親が感じたプレッシャーと言うのは計り知れないであろう(初めての子なのだから尚更のことである)。その頃の私の育て方について母親が語った一言は

「私の子という感じがしなかった。『この子はこう育てなければならない』と、周りから求められるような像の通りに育てる、ということを考えていた。」

ということである。端から周りの求める人間像の通りに育つように育てられてきたのだから、周りの求める人間像を演じるようになるのは当然のことであろう。

さて、このような人間が『嘔吐』について思うところが多いのは当然であろう。というわけで、雑多な自己紹介などでこの記事は終わってしまったが、次回から実際に『嘔吐』の箇所を引きながら稚拙な考えを記していこうと思う。

私はこのような人間であるので、この記事の最後に、『遮光』の主人公がシンジさんという先輩から虚言癖や演じているかのような性質を指摘された後、友人の健治に対しその彼女、恵美についてシンジさんの受け売りで虚言を話したシーンを引用し、注釈として終えなければならないであろう。

健治はそう言い、私の顔を見続けていた。私はしかし、もう笑ってなどいなかった。ただ、頭がぼんやりとしているだけだった。意識が自分から遠く、健治も遠くにいるような、そんな感じだった。私は健治の目を見、その動いている唇を見た。その時、意識の隅で、シンジさんが定義した私という人間像を、今の私はわざと演じているのかもしれない、という考えが浮かんだ。が、その考えが本当にそうなのか、証明する手立てはなかった。どうしてああいうことを言ったのか、私は考えたが、やはり自分が演技をしているような気がしてならなかった。何かに強制されるように、駆り立てられるように、私の口からは言葉が流れ、それが自分にとって意味のないことであったとしても、私は何かの振りをしてみたくなった。それはまるで、私の体の中に染み込んだ、ある種の傾向のように思えた。そしてこういう時、私はいつも陶酔したような、快楽があった。嘘をつけばつくほど私はそれに陶酔し、それは時に自己を支配するほどに大きく、私は自分を見失った。私はさっきも実際に、酷い快楽を感じていた。やめたいという拒否の感情と共に、やはり酷い快楽をも同時に感じていた。だが、それは果たして私の望んだことなのだろうか。やはりどうしても、自分が何かに強制されているような気がしてならなかった。体の中に染み込んだ今までの自分の傾向が、どんな時にも、ふと気がつくと、私にそう強いているのだった。

ありきたりなオタクの、ありきたりな信仰告白

今日、一人の声優が活動休止を発表した相坂優歌さんという方である。

思えば、私の人生は常に音楽によって支えられてきた。高校生の時、大した挫折経験もない思春期の青年には珍しくもないありふれた話であるが、身近な小さい出来事に対して、まるでそれが人生における最大の挫折であるかのような(確かにその時点では私の人生において最大の挫折であったのだろうが)気がして、過剰に悲劇のヒーローぶり、「VS 社会」という構図を作り出した。この時に最も聴いていた音楽はパンクロックである。はじめに聴いたのは Sum41 というバンドの Still Waiting という曲である。

So am I still waiting

For this world to stop hating

Can't find a good reason

Can't find hope to believe in


---Sum 41 "Still Waiting"

この曲を聴き、パンクロックにずぶずぶと浸かった。所属していた生徒会での問題に気を揉んで(自慢めいた言い方になってしまい気乗りしないのだが、受験勉強は私にとってさほど苦痛ではなかった)、帰り道の長い電車の中でずっと Sum41Green Day を聴いていた。

Well maybe I'm the faggot America

I'm not a part of a redneck agenda

Now everybody do the propaganda

And sing along to the age of paranoia


---Green Day "American Idiot"

その後、大学に入学した。様々な要因、主に所属していた研究チームでの進捗から精神を破壊されたことにより、私は「幸せな人間が嫌い」という至ってありきたりな拗らせ方をした。

このころは「幸せな人間が集う社会を破壊する」という外向的な精神と、「それでも俺は前を向いて俺の人生を歩く」という内向的な精神とが私を支配していた。

豚の安心を買うより

オオカミの不安を背負う

社会の首根っこ押さえ

ギターでぶん殴ってやる


---THE BLUE HEARTS "俺は俺の死を死にたい"


叫んで Make a Shine

響く声に嘘はつきたくないから

ゴールは要らない

終わりの無い旅を歩いてゆく


---喜多村英梨 "Veronica"

こうした私だが、大学三年生の時に、それまで所属していた研究チームを引退し、第一線を退いた。

その時ふと私を襲ったのが、「自己の空虚さ」である。

人というのは厄介な生き物で、余程強い精神を持った人間でない限り、「自分が今成し遂げていること」が何もないと自己の存在がなくなってしまうものである。(ここにおいて、過去の「自分が成し遂げてきたこと」に縋ることができる人間はとても強い。なぜなら「自らの築いたものの上に胡坐を掻く」ことを許容できるほど図太い神経の持ち主なのだから!)こうして私は、また非常にありきたりであるが、自己というものを失うことになる。アイデンティティ・クライシスである。

このような状態の人間が求めるのは「肯定」である。自ら何かを成し遂げて自己肯定できる人はとても強く、その自己完結は非常に美しい。だが、それでなくても構わない。外からの「肯定」であっても、それはどこかで私が生きる糧となるのだから。

そんな私に刺さることとなる歌詞がある。曲がある。歌声がある。それが相坂優歌さんであった。

変わりたい 壊したい

逃げ出す自分 捨てても

偽らずに 君に受け入れてほしいよ

走り続ける先に

待ち受けているのは悲しい 運命でも

「今」信じていたい


---相坂優歌 "Impluse"

彼女の歌に、彼女の歌声に支えられて私は生きてきた、生きている。

二年前のライブ、彼女は涙ながらに語った。「こうして応援してくれる人が一人でもいる限り、私は一生舞台に立ち続けたい」と。

私は、待ち続ける。舞台に立ち、光を浴び、「今」を生きる彼女を。そして、その場で流れるであろう私の涙と、「明日を生きよう」という決意を。

人生の物語化 原体験

今までの人生の中で、自らの「生」を強く実感したことが三度ある。その三度すべて、自らの「死」がまざまざと立ち昇った瞬間と一致する。

そのうちの二度は、端的に言えば「間一髪で死を免れた」という体験である。一度目は高校一年生の冬(七年半ほど前)、朝学校へ向かうために駅へ向かっていると、私が毎日乗る電車が駅に接近しており、踏切が下りる途中であった。郊外の田舎、朝ラッシュには到底早い時間帯、その電車を逃すと寒空の中30分ほど待たなければならない。眠気で思考が麻痺していた私は、無我夢中で踏切をくぐって改札のある側に渡ろうとした。初めに私が気づいたのは、私を横から強く照らす光であった。その光が電車のヘッドライトによるものだと気づいたときには、私から十数メートルほどのところにけたたましく警笛を鳴らしながら迫ってくる電車があった。目に映るすべてがスローモーションとなった。脚を縺れさせながら、死に物狂いで踏切から転がり抜け、つい先ほど私を轢かんとしていた電車に乗り込んだ私は、歯の根が合わずカチカチと音を立てていた。真冬の日の出前だというのに全身は汗でぐっしょりと濡れ、体は悪寒でがくがくと震えていた。 少ししてから、今度は跳ねっ返りのように極度の興奮状態に陥った。忙しなく車内を見まわし、ケータイ電話(今は懐かしいガラケーである)を取り出し、意味もなくツイッターを開いては消し開いては消しを繰り返していた。その瞬間に私を支配していたのは、紛れもなく恐怖であり、またその恐怖から逃れられたことによる喜びであった。目前に現れた圧倒的な死の強さ、そして生の悦びを感じていた。

二度目は一年ほど前のことである。屋上の喫煙所から階段を下りる途中、寝不足でふらつく足が階段を踏み外し、そのまま滑り落ちた。この階段の構造上、踊り場の先が五階から地下一階まで吹き抜けになっており、腰辺りの高さしかない柵だけで防がれているという形になっている。私が気づいたときには、体が柵を支点としてくの字に折れ曲がり、鳩尾をいたく強打し息ができないという状況であった。視界は白黒に点滅しており、その眼下にはぽっかりと空いた地下一階までの空洞が広がっていた。鳩尾への衝撃のせいで呼吸ができないまま踊り場に転がり込み、やっと呼吸が戻ってきたころに、下から「カーン」という音が響いた。その音でようやく、私は眼鏡を落としたのだと気づいた。柵がもう少し低ければ、私の重心がもう少し上であれば、私はあの眼鏡のように下に落ちていたのだろう。 あの瞬間の得も言われぬ感情は忘れもしない。体からは止めどなく冷や汗が流れ、悪寒でがくがくと震えていた。ほとんど話したこともないような同期に対して、定まらぬ目線のまま早口で先ほどの経験を語っていたのを思い出す。この時の私は極度の躁状態と言えるだろう。この時は不思議と、六年前の時とは違い、恐怖よりも先に「生の悦び」が浮かんできたのを鮮明に覚えている。このとき、私の眼前に広がっていたのは「死」そのものであるはずなのに、私が実感したのは「生」であった。

「日常を送る中で、身体的死が輪郭を持って私の前に忽然と現れた」という点と、その後の私の身体的反応という二つの点で、外面的な事象としては非常に似通っている。最後の一度はこの二度とは大きく異なり、精神的なものである。

かなり昔のことで今となっては細かい時期は思い出せないが、おそらく小学校低学年のころである。きっかけは思い出せないが、なんとなく私は人の少ない小学校の体育館の真ん中でふっと横になり、天井を見上げた。私の眼前に広がるのは天井だけである。その瞬間、私はそこにありありと「死」を実感した。 自分よりもはるか遠くにただのっぺりと広がる体育館の天井が視界を支配した瞬間、私は自己の存在がそこに吸い込まれていくような、そこと一体化して溶け出してしまうような、そんな感覚に襲われた。この感覚は当時の私にとって(恐らく今の自分にとっても)、紛れもなく「死」そのものであった。自己と外界との区別が全く消え去ってしまったのである。恐怖で身がすくみ、すぐに目を閉じたが暫く動けずにいた。動悸と冷や汗が止まらず、泣きそうになっていた。

この経験は、前二つの「肉体的死」の経験よりはるかに強い恐怖、ある種のトラウマと言える経験にまでなっている(いまだに何もない空を見上げるのが怖くてしょうがない)。前二つの経験は、自らと外界との境界を保ち続け、その「自ら」が消滅することでその境界を"最後(最期)"まで維持できるという点で安心感が強い。しかし、この体育館での経験のような、「精神的死」については終わりがない。私という概念が外界と溶けあうことで消失するのに、私という存在は残り続け、その苦痛を味わい続けるのである。これほど恐ろしいことはない!

私と親しい人間であれば、何となくわかっていることであろう(少なくとも、私に中村文則「遮光」を勧めた友人はわかっていることであろう)が、私には、「本心」という言葉が皆目ピンと来ない。常に何らかの人物像を描き、それを演じ続けている。この性質が、この体育館での経験から始まったことなのか、それとも元々あったもので、それが体育館での経験に恐怖という形で顕れたのか、それは今となってはもうわからないことであるが、しかし少なくともこの性質と経験との間には強い結びつきがあると言えるのではないか、と考えている。そもそも私が演じ続けるようになったのは、「本心」を他人に知られる恐怖からである。いかに親しい友人であろうと、私は常に何かしら嘘をつくし、その嘘を嘘だと思っていない。私は常に私の作り出した人物像を演じ続けることに腐心している。もし演じることをやめてしまうと、私の「本心」が裸で晒されてしまい、外界と溶け合ってしまう。それに対する恐怖から、私は演じ続けてきたが、今となってはもう、演じることなく人と話す、ひいては一人でいるときにも演じずに「自分」でいることができなくなってしまった。存在しないものを囲い続ける境界は、中身を漏らしたり、無くなってしまうことなんてないのだから……。

白煙を燻らせ

私の過去のブログ記事を読んでいる人ならば知っていることであろうが、残念ながら私には文才というものが皆目無いようである。私は創作を好むが、私の好む創作のように文章一つで人を唸らせる、そういったものは私には到底不可能のように思える(これは非常に残念なことである)。

では私の書くことのできる文章とは一体なんであるのか、そういったことを最近ずっと考えている。これは矢張り、外因的な、すなわち現実を元にした物に違いないのであろうという結論に至った(この結論は私がこの議論を始めた段階で思い至っていた結末の一つに過ぎないが……)。私の知っている現実に即した物語となれば、私の祖父母の物語、私の従兄弟伯父の物語となるが、これは電子の海に放流するには些か抵抗のある話となる(抵抗のある、という表現は適切でない。正しくは「電子の海に到底放流できるものではない」となるべきである)。

そんなことを考えていて、不図思い立ったことがある。「私が物語にしようとしているのは、一人の人間の人生そのもの、それもその人生が物語たりうる人間の人生そのものなのではないだろうか」と。ならば、私がブログに綴るものも、「私」という一人の人間の人生をその時々でつづっていくのが正しいのではないだろうか、と。

元来、「ブログ」という言葉は「web log」からきている。すなわち、ログなのである。私が一人の人間として人生を全うした際に(それはとても物語的であるかもしれないし、とても詰まらないものかもしれない)、この「ブログ」から感情の遷移などを読み取れる形になっていれば(それが他者に読み取ることが可能か不可能かに拘わらず)良いのではないだろうか。そう思った次第である。

前置きが長くなってしまったが、要は「日々のことを、その思った/ あったに関わらず、綴ろうと思ったときに綴っていこうではないか」という決心の言い訳である。

それにしても梅雨である。低気圧には滅法弱い。毎日頭が痛くて仕様がないし、起きれば夕方という日も多い。今日も起きれば午後四時半であった。どうしようもない日を過ごしていたが、その中で不図地元のことについて思い立ち、私の地元で起きた事件とその逮捕者について調べていた。小学校の同級生などが見つかると面白いと思いながら探していたのだが、その中に私の従兄弟伯父の名前を見つけた。私の人生の物語性は矢張り現状で彼には勝てない。悲しくなってしまった。

人生において戦いというものが存在しないから、私の人生は虚構となってしまう。これが言い訳であることは重々承知している。だが、男子校の体育祭を見よ。彼らは学校という、彼らの世代においての集団・規則・社会の象徴たるものから与えられた「戦い」というものに熱中している。棒倒し、騎馬戦……それらの数々は「戦いのまがい物」に過ぎない。非常に嘆かわしいものである。早急に徴兵制度が復旧してほしいと願う(国のため、などという戦いの大義名分は到底”ダサい”ので何か新しい題目を立てるべきだと考えるが)。社会などという煙に巻いたような強制ではなく、凡人にもわかりやすい徴兵制度が必要なのである。徴兵制度が復旧すれば、私はその題目の定める敵ではなく、徴兵制度と戦うのであろう。

そんな煙に巻いたようなことを考えながら、ベランダで煙を燻らせていた。「紫煙」と呼びたかったが、すでに日も落ち、真っ黒く重い雲に消された星明かりの下ではただの白く風情もない煙である。どうも私は、とことん風情とやらに見放された人間であるようだ。

今日は妹の20歳の誕生日である。何を送ろうか。そう考えながら筆を擱く。

怒りに任せて筆を執り

最近友人から「お前のように見た目からして私は異常であるというアピールをしていきたい。」なる言葉を貰うことがある。私個人としてはそこまで異常な恰好をしているつもりはない。無骨で巨大なヘッドフォンを頭に付け、首に黒いチョーカーを巻き、首からシドチェーン(セックスピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスがつけていたような南京錠のついたネックレスである)を下げている。

思えば、このような恰好を始めたのは最近である。高校生の頃、毎日ずっと同じプレイリストを聴いていた。これはほとんどがパンクロックにより構成されるものであり、その頃の私は常にパンクロックの根底たる感情「怒り」を覚えていた。理不尽な制度や社会に対する漠然とした怒り、俗にいう中二病というやつである。

ふと思い立つ。高校生から学部1,2年の頃、あの頃は思考に速があった。人の目を恐れず、自信のもとにただ怒りの赴くままに強い主張を行っていた。今はどうなった。丸くなってしまった。これはよくない。気持ち悪い人には気持ち悪いと言い、頭が悪いと思った人には頭が悪いと言う。それが私のポリシーではないのか。

ふと気づく。あの頃抱いていた「怒り」はどこに行ってしまったのか。ただ流れるがままに曖昧な日常を流れているだけではないか。

どうしていいかわからないときはまず形から入るべきである。チョーカー、チェーンを身に付ける。ベースを買った。パンクロックを取り戻すために。

それが成功したのかどうか、そんなのは分からない。ただ、今の私には小さくはあるが確かに「怒り」が存在する。今日苦手な午前中のセミナーに出ると、発表が目に余るグダグダでずっとブチギレている。初めはこんな小さな対象への怒りでもいい。だって私は抽象化が得意なのだから。きっといずれこの小さな対象への怒りが大きく一般化され漠然とした怒りを取り戻すのだろう。

怒りに任せたままブログの筆を執ったが、やはり私にはこれくらいの速が似合うのではないだろうか。客観性の欠片もないが、このブログの紹介文にもある通り、こんなものは主観性だけあればそれでいいのだ。

近況報告、からの抽象化

ここ一か月ほど、ブログを更新する間もなくずっと書類仕事をしていた。たかが一組の書類であるが、これが中々に重たいものであり、すらすらと筆の滑るままに著せばよいブログとは違ってずっと筆が止まったまま唸っているという時間が長い。

この書類を書いていると、先輩や友人に見せ悪い点を洗い出し修正を行うという作業のループに入る。そんな時に先輩から受けた言葉が印象に深く残っているのでここに著そうと思い筆を執った。

端的に言うならば、その言葉は「君の書く文章は普通であれば一文一文切るところを繋げ、非常に長くなっている。その一文の長さを補うためかわからないが、細かいニュアンスを多くの語彙で表すのでなく、ただの一語でカチッと表そうとするため一文辺りの情報量が多く、集中していないとまるで読めない。さらに抽象→具体と説明するのではなく抽象→別の抽象に言い換えという形で説明を行うので益々わかりづらい。」という内容であった。確かに見返せば私の書いた書類は読点の数が多く、句点がまるで存在しない。一段落を丸々すべて一文で埋め尽くすということがざらにある。具体的に説明を執り行うための書類のはずなのに、「例えば」という語彙が一度として登場しない。私の文章の癖というものが見抜かれた気分である。

そもそも私は人から概念の説明を受けるとき、特にその説明の対象について私が文脈を共有している場合において、「例えば」という言葉を使われるのを甚く嫌う。勿論説明側にそんな意図がないというのは重々理解しているつもりではあるのだが、これは一種の病気で、どうしても「例えば」と言われると「お前の貧弱な知能では抽象の話が理解できないだろうから、多少情報の抜け落ちがあろうとも想像のし易い具体で説明してやろう。」と言われている気がしてならない。

物事を説明するにあたって相手の処理能力を無限と仮定するのであれば、情報の抜け落ちが生じ得ない抽象による説明が最適なのである。説明される概念とは普通抽象なのであるから、抽象と抽象の積集合として概念を説明すればそこに情報の抜け落ちはない。情報落ちが無いように具体で説明しようとすると、その概念の表す具体を網羅しなくてはならず、そんなことは不可能である。

この意識が強く出ているのであろう。私の書いた書類というのはひどく抽象的な概念とその言い換えの羅列、抽象的な概念同士のアナロジー、それを補強するためにまた抽象的な論理、というようになっている。別に具体について考えるのが嫌いというわけではないが、個々の具体からより一般的な抽象に当てはまるような法則を見つけ出す、というところにカタルシスを覚えてしまう。これは性癖であり治らないものなのであろう。

そういえば以前友人に「お前は過度な一般化を行いがちだ」と指摘されたことがある。これも私の癖に由来するのであろうか。どうしても具体に興味が湧かず、具体の話をされるとすぐにそこから一般化を行って法則なるものを抽出しようとしてしまう。

地に足のつかない哲学が好きなのだ。創作を好むのもここに由来するのであろうか。実世界はすべて具体で穢らわしい。